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「46年間、鮮度・値段・品揃え・態度だけは守ってきた」日本一売れる魚屋の秘密

Gyoppy! 編集部

魚を並べるスタッフ

新潟県長岡市寺泊に本社を構える「角上魚類(かくじょうぎょるい)」。

首都圏に22店舗をチェーン展開し、年間の売上高353億円(2020年3月期)は、一店舗あたりの売上高では日本一という鮮魚専門店だ。郊外型の大型店舗が主体で、週末には各地で「角上渋滞」が発生するほどの人気ぶり

車があふれる角上魚類の駐車場

人気の理由は、鮮度と安さ。その日、水揚げされたばかりの魚を手頃な価格で購入することができ、魚種の豊富さでも有名で、一般的なスーパーマーケットでは手に入らない魚がたくさん並ぶ。「魚のテーマパーク」とも称されるように、見て歩いているだけでも楽しい。

しかし、そんな大型チェーン・角上魚類も、もともとは小さな「町の魚屋さん」から始まったというから驚きだ。創業社長の柳下浩三さんは、今はすっかり住宅街になった寺泊店周辺を見渡しながら語る。

「この辺り一帯は昔は砂浜で、本当に何もないところでしたよ。そこに46年前、ポツンと魚屋を出したのが始まりでした」

創業社長の柳下浩三さん

スーパーが増え、いわゆる昔ながらの魚屋は減少する一方だ。日本人の「魚離れ」が進むとも言われる中、角上魚類はどうやって「日本一の魚屋」になったのだろうか?

鮮度、安さ、魚種の豊富さを実現する戦略とは

柳下さん

── 角上魚類は鮮度のよい魚が安価で購入できるため、我々の周りでも料理好きほど「魚を買うなら角上魚類だ」と口を揃えます。鮮度と価格の安さをどうやって実現しているのでしょうか?

当たり前ですが、魚には原価がありません。その日獲れた量によって大きく値段が変わります。そのため、うちはバイヤーを新潟中央水産市場と豊洲市場(東京都中央卸売市場)の2つに同時に派遣して、その日のもっとも安い値段で仕入れています

── 新潟と豊洲の両方にバイヤーを!

バイヤー同士が携帯で連絡を取り合い、それぞれの市場の値段を報告します。せりが始まる前から「新潟はイカの荷箱が大量に入っているから安くなる。イカは新潟から仕入れよう」「サバとアジは豊洲のほうが安い」などと、お互いの市場の様子を見て、どちらから仕入れるかを決定するんです。

その日どんな魚が水揚げされるかは、蓋を開けて見なければわかりません。だから、鮮度のよい魚を安く仕入れるには、現場からの情報が生命線になります

うちはバイヤーに全権限を持たせているので、各店舗に送る魚の数量、売価まで、すべてバイヤーが決めます。各店舗の傾向やキャパシティも頭に入れておいて、「イワシがこの値段なら、あの店だったら1日30箱は売れるだろう」という具合にね。

── すごい。てっきり各店舗側が「この時期はサンマが売れ筋だから、これくらい仕入れてほしい」などとリクエストしているのかと思っていました。

数量や売価までバイヤーが決めるぶん、店舗側は売ることに集中できます。朝のうちに豊洲と新潟から、店舗に搬入される魚の種類、数量、売価がFAXで送られてきます。店長は開店前にそれを確認して、「アジが30箱来るから、20箱は対面販売して、3箱は刺身、3箱は寿司、4箱は惣菜に使おう」と販売計画を立てるのです。

こうして、その日特に安くて鮮度のいい魚を重点的に並べているので、売れ残りはほとんどなく、廃棄率は0.05%程度です。

様々な種類の魚が並ぶ
各店舗には毎日、大量の魚介が並ぶ。写真は長野店

── 魚屋さんのロス率は一般的に平均6~7%と言われていますよね。そこから考えると驚異的な数字です。角上魚類は魚種の豊富さでも知られていますが、一般的には売れ筋とは言えない魚も置いているのはなぜですか?

うちは、魚屋を始めて1年くらいの頃から「もっとお客様に喜んでもらうために、できるだけいろんな種類の魚を置こう」と決めて仕入れをしてきました。

先ほど、店舗側が売ることに専念できる体制を作っていると言いましたが、お客様が食べ方を知らないような魚でも、オススメの調理法を提案したり、細かいご要望に応じて捌いたりすることで、「食べてみようかな」という気持ちになっていただけるよう努力しています。

スーパーでも魚の種類を増やそうとがんばるお店はあるのですが、うちほどには売るための努力に手間をかけられないので、ロスになってしまうことが多い。それで結局、売れ筋のサバやサンマなどの数種類に絞られていくんです。

魚屋が潰れだしたからこそ、魚屋を始めた

柳下さん

── 人気の理由がわかってきました。でも、2つの市場にバイヤーを送り込むことにしても、豊富な魚種を取り揃えることにしても、今の規模だからこそできることですよね? 小さな魚屋さんにはなかなか真似できないだろうなと思いましたが。

いえいえ、私たちもまさに、最初は小さな魚屋から始まったんですよ。この辺り一帯は昔は砂浜で、本当に何もないところだったんです。そこに46年前、ポツンと魚屋を出したのが始まりで。

── 今の姿からは想像もできないですね。46年前というと、世の中にスーパーが出てきて、商店街や魚屋は大変だった時期。そんな中、どうしてわざわざ魚屋さんを始めようと?

むしろ魚屋が潰れだしたからこそ始めたんです。1973年に新潟県初のダイエーができ、おっしゃるように、みんながスーパーで買い物をするようになりました。うちは父親の代まで魚の卸業をやっていましたが、取引先の魚屋がどんどん潰れて、商売が成り立たなくなりました。

そこで「自分で魚の小売業をやる」と父に話したところ、「お前の好きなようにやれ」と言ってもらいました。

取材を行った寺泊本社から見える寺泊本店。海のすぐそばにある

── 勝算はあったんですか?

魚屋を始める前に「スーパーでは魚をどんな風に売っているんだろう」と思って偵察に行ったんです。すると、仕入値を知っている私には考えられないような高い値段で売っていました。「スーパーというのは安売りの店ではないのか」と驚きました。

「自分で仕入れて小売すれば、ここの3分の1くらいの値段で売ることができる。お客様に喜ばれる魚屋が作れるのではないか」と思いました。そこで、寺泊の砂浜に第1号店を出したんです。

この辺りの漁協の市場の買参権(せりに参加する権利)は全部持っていたので、いくつもの市場を回って、選りすぐった魚を並べました。すると、みなさんうちの魚を見て「うわあ! 活きがいい!」「ものすごく安いわ」と大喜びで買ってくださって。

それが嬉しくて「明日はもっとお客様に喜んでもらおう」という気持ちで続けてきました。そのうち、お客様が周りの方に「寺泊にすごくいい魚屋がある」と知らせてくれて、来店者数が増えていったんです。

── 口コミで広がっていったんですね。

1974年11月に開店した頃は、1日の売上が8万円ほどだったのですが、1ヶ月経つと1日15万から20万円。年末には60万から70万円も売り上げるようになりました。2年目には長野県からも来店されるようになり、5年目には関東からも車で来られるようになりました。

だんだんとうちの店を目当てにする人も増えて、80年代後半にもなると、寺泊全体では年間300万人を超える観光客が訪れるようになって。その頃には、土日は1日500万円は売り上げるようになりました。

寺泊アメヤ横丁と書かれた看板

"昔ながら"を大切にした、日本一の魚屋へ

── 順風満帆のように聞こえますが、46年の間に転機や失敗はあったのでしょうか?

2号店を出した頃に、フランチャイズの引き合いが関東のいくつかの地域からありました。「資金も人手も足りないので難しい」とお断りしたのですが、「スタッフや店舗は用意するので、魚の供給と店舗指導をしてほしい」と言っていただいて、フランチャイズ契約をすることになりました。

フランチャイズの店はどこも繁盛しました。でも、5、6年のうちにすべて角上の看板は降ろしてもらいました。

── えっ、どうしてでしょう?

私は店舗の基本姿勢として、「四つのよいか」を定めています。「鮮度はよいか、値段はよいか、配列はよいか、態度はよいか」46年間、これだけは守ってくれと従業員にお願いして、お客様への感謝の気持ちを忘れずにやってきました。

でも、フランチャイズ店はしばらくすると、鮮度のよくないものを並べたり、値付けを高くしたりするようになりました。効率を優先する考え方からだと思うのですが、うちから指導しても、あまり聞き入れてもらえなくなりました。

値付けにしても鮮度にしても、お客様に喜んでもらえるように毎日真摯に心がけていなかったら、商売は徐々に下火になっていきます。もちろん、今日やっていることが明日すぐに結果に表れるわけではありませんが、半年、1年後に必ず響いてくるものだと思っています。

この時の経験があるので、今もむやみに新店舗を出すことはしないようにしています。自分の目の届く範囲内でやろうということです。

柳下さん

── 今の勢いを見ていると、新しくお店を出したら、出しただけ儲かりそうなものですけど。

一番大切なのは、今、店舗のある地域のお客様なんです。新店舗を出すとなれば、鮮魚に精通した人間が30~40人は必要です。すると、既存店から2人ずつくらい集めなければならないことになりますが、そうやって人を引き抜くと、既存店の質は落ちてしまいます。

お客様のために手間暇を惜しまないことが何より重要なんです。効率は悪いかもしれないですが、先ほども触れたように、うちはお客様からのご要望に応じて、魚に合う料理を提案したり、魚を三枚におろしたりと、魚を食べていただくためにできる限りのサービスをするようにしています。それができなくなったら、私の目指している魚屋ではなくなってしまう。

砂浜の掘っ建て小屋だった頃と比べたら、角上魚類はたしかに大きくなりました。けれども、どれだけ大きくなったとしても、昔ながらの魚屋のようにお客様とのコミュニケーションを大切にしたい。それが私の目指す「日本一の魚屋」なんです。

賑わう店内

── 日本人の「魚離れ」が叫ばれて久しいですが、角上魚類ではみなさん目を輝かせて魚を買っていきますね。

冒頭でも触れましたが、スーパーでは合理性が重視されるので、売れ筋の魚種しか置きません。それが当たり前になってしまったから、家庭で魚を食べる種類も機会も自然と減っていったのだと思います。

うちの店では最近、子連れのお客様も増えていて、子どもたちが初めて見る魚を指して「あのお魚が食べたい!」と言って走り回っています。そういう様子を見られるのが一番うれしいですね。

46年前にこの砂浜に魚屋を出したときに、たくさんのお客様が来てくださって無性に嬉しかったんです。そのときから、お客様の喜ぶ姿が私の喜びになりました。これからも当時の気持ちを大切にして、それぞれの地元のお客様に「来てよかった」と思っていただける魚屋であり続けたいと思っています。

柳下さん

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