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政治のせいで高級になった魚!? 「ふぐ」が未来の人類を救うかもしれない

Gyoppy! 編集部

フグ刺し

みなさんは冬の高級魚「ふぐ」を食べたことがありますか?

おいしいですよね。大きなお皿に盛られたお刺身はきれいだし。でも、ふぐってどういう魚なのか、意外に知られていないですよね。たとえば、「ふぐ」って、なぜ高級魚なんでしょう?

過去に食べたお手頃な「ふぐ」は、お刺身1枚では薄いし、味も繊細で、悪くいえば淡白な印象......。1枚じゃ物足りずに、数枚重ねて食べてしまうこともしばしば。その結果、常に脳内で繰り広げられる食べ応えと金銭感覚の戦い。正直なところ、コスパ的には野菜たっぷりリンガーハットのほうがよっぽどいい。この、淡白もとい繊細な味にみんなが大金を積んで食べる理由って何かあるの?

望月俊孝(もちづき・としたか)さん

そんな「ふぐ」の謎を解き明かしてくれるのは、株式会社河久(かわく)・代表取締役の望月俊孝(もちづき・としたか)さん。ふぐの聖地とも言える山口県・下関市でふぐの養殖を行いながら、東京大学とともにふぐの研究をしている変わった経歴の持ち主です。

「ふぐが高級なのは、政治と大きく関係しているんです」と望月さんは言います。

そして彼の口から語られたのは、豊臣秀吉や伊藤博文などの歴史上の偉人たちのエピソードから始まり、高度経済成長期に端を発する「ふぐ」と「下関」の栄華。そして、2000年代以降の天然資源の枯渇による「ふぐの街・下関」の衰退。はたまた、ふぐの資源管理が未来の人類を救うかもしれないという話まで。

ちょっとスケールでかすぎじゃないですか? まさに謎が謎を呼ぶミステリーな展開。大河ドラマをつくれちゃう。

というわけで、ふぐの歴史と現在を知り尽くし、未来まで見据える望月さんからお話を聞きました。

300年間、食べることができなかった魚

大皿の鮮やかな絵が透けて見えるほど薄いフグの刺身

── 大皿の伊万里焼に盛られているふぐのお刺身ってとてもきれいですよね。

そうですね。お皿が透けるほど薄いほうがいいという考え方もあるくらいで。

中国や韓国からふぐ食のルーツをたどっていくと、ふぐのスープとして食べられていたのがはじめのようです。現在でも、精のつく食べ物として重宝されていますね。

中でも白子は、その見た目の美しさや希少価値の高さから、西施乳(せいしにゅう)と呼ばれて高級食材になっていました。

※西施とは:貂蝉・楊貴妃などと並んで称される中国古代4大美女のひとり

箸でもちあげ、あみ杓子で支えるほど大きい白子
とらふぐの白子の大きさよ

── いわゆる「ふぐちり」など、煮込む調理法が一般的だったと聞きます。

そうですね。しかし、日本において、刺身などふぐの食文化が成熟した経緯は、はっきりとはわかっていません。というのも、日本ではふぐを食べるのが禁止されていた時期があったんです。

── 禁止ですか。中国でも珍味として重宝されているのに、なぜ?

ふぐは、テトロドトキシンという猛毒を持ってるんですよ。だいたい致死量が2、3mgほどと言われていて、猛毒と呼ばれる青酸カリの500~1000倍以上。

── 猛毒の1000倍以上の毒!

だから外国人からすると、「なぜ日本人はあんな『キラーフィッシュ(Killer Fish)』を食べるんだ」って訝しがるみたいですね。

実際、朝鮮出兵の際にふぐを食べた兵士たちに大量の死者が出たんですね。そのため豊臣秀吉が1592年に「河豚食禁止令」を出して、食べること自体を禁止したわけです。そこから300年近く、ふぐを「公的」に食べることができない状況でした。

おちょぼ口のとらふぐ
このかわいらしい顔に青酸カリの数百倍の猛毒が!

── 「公的に」ですか。ということは......?

禁止されている時代にも、庶民のあいだでは食べられていたそうです。ふぐ刺しなどの食文化も、その時期に生まれたのではないでしょうか。

特に江戸時代には、庶民の間で度胸試しとして浸透していたようですね。毒のあるものを食べることで、強くなりたいという感覚があったのかもしれません。外国ではサソリやタランチュラを食べる地域もありますよね。

── ぼくもタイでタランチュラを食べたことがあります。エビみたいな味がしました。

人間は毒性の高い禁止された食べ物をなぜか食べてしまう傾向がありますよね。精がつくとされている食べものはだいたい毒性が高かったりする。

当時の文化人においても、そうした風潮がありました。小林一茶もふぐを好んで食べていたと言われており、いくつかの俳句を残していますね。

「五十にて 河豚の味を 知る夜かな」「河豚食わぬ 奴には見せな 富士の山」小林一茶

政治の力によって、一躍高級魚に

ふぐちり

ふぐが解禁となったのは明治時代です。下関を訪れた当時の首相・伊藤博文が、ふぐのあまりの美味しさに禁止令を解除しました。

── ふぐにも明治維新が!

伊藤博文はもともと長州藩出身でしたから、郷土料理を解禁できたのはしてやったりというところもあったでしょうね。

── 地元愛......! ふぐってそもそも郷土料理だったんですね。

そうなんですよ。東京や大阪に食文化として伝わったのは、食通として名高い北大路魯山人がエッセイに書いたことがきっかけなんです。

※北大路魯山人とは:「美食倶楽部」を発足し、赤坂や大阪の豊中に料亭「星ヶ丘茶寮」を開いたことで有名

── 漫画『美味しんぼ』の世界じゃないですか。

そのほかにも文化人たちがふぐが美味しいということを広めるわけです。ただ、普通の人は絶対に食べられない。話には聞くけど、実際には見たこともない魚だったわけですね。そうした風潮に拍車をかける事態が1970年代に起こります。通称「李承晩ライン」の撤廃です。

── ......りしょうばんらいん?

はい。「李承晩ライン」は韓国が海洋資源の独占を目的に設定した排他的経済水域です。

要は、韓国の領海が設定されてしまったために、日本の漁船が入れる区域が制限されていたんです。それが1965年に日韓基本条約を締結したことで、廃止されました。これにより、天然のふぐをたくさん取れるようになったんです。

李承晩ラインの図
外務省ホームページより

しかし、当時は養殖や冷凍の技術が未発達。朝に下関で採れたものをその日に東京に送らなければいけないことから、価格も高くならざる得なかった。そして1970年代といえば、ちょうど高度経済成長の時期。そこで登場するのが赤坂の料亭です。

── 赤坂の料亭ですか。最高峰の料理が出てきそうな......。

はい。ふぐは魯山人などの著名人が絶賛する珍味ですから、当然みんな食べてみたいわけですよね。それを政治家の人が接待などに利用したんです。つまり、結果としてふぐはそれまで以上に、高級なものの代名詞として用いられることになったんです。

天日干しされているふぐのヒレ
ひれ酒に用いられるふぐのヒレは一匹から2枚しか取れないらしい

下関は「加工地」だが、「生産地」ではない?

望月さん

結果として、下関はふぐの生産地として、その特需で大きく成長してきました。朝鮮半島や、中国との境界線付近まで漁を行い、数週間の航海で莫大な収入を得ていたんです。

そして、1974年にはふぐだけを扱う市場として、南風泊市場(はえどまりしじょう)が開場となりました。

── ふぐ専門の市場! すごいですね!

ところが、2000年代以降に入ると、それまでの乱獲や、温暖化による天然のふぐの北上によって、下関の港ではあまりふぐが取れなくなっていったんです。

── そうなんですか!?

はい。1990年代に養殖技術が確立して以降は、長崎県や熊本県などの地域がトラフグ養殖を盛んにしています。天然のトラフグはどんどん枯渇していますから、現状市場に出回っているふぐは九州産の比率が増えていますね。下関も加工地としては栄えていますが、このままでは「ふぐといえば九州」となってしまう。

そのため、私たちは下関でふぐの養殖を普及させようとしているんです。下関という街はふぐのブランドイメージが確立されている上に、加工技術、流通など全てが整っているわけですから、ここの問題が解決できれば、ふぐ産業が復活できるのではないかと。

唐戸魚市とかかれた箱

そのために最も重要となるのが、養殖用漁業用水の確保です。

── 漁業用水? 海で直接養殖するわけではないんですね。

海での養殖は水質管理などの経費はかからないのですが、どうしても自然のものですから、あまり安定しません。特にこの地域は赤潮が発生することもあるため、生存率が40%ほどに下がってしまいます。

そのため、10m×10mほどのプールでふぐを飼育する陸上掛け流しと呼ばれる方法が有効だと考えています。この場合ですと、生存率は80%を超えますし、病気にも強いトラフグの育成ができます。

── ちなみに養殖のふぐって、天然のふぐと比べても美味しいんですか?

美味しいですよ。天然のほうが美味しいという風潮がありますが、成分的にはほぼ変わりません。ただ泳いでいる地域が違うせいか、少しだけ筋肉の質が違うので、舌触りが違いますね。でも、私でも食べ比べてみないとほとんど気付かないかもしれません。

とらふぐのプールにタモをいれる望月さん
プールの中には生き生きとしたふぐがたくさん!

2006年からの10年間、こうしたトラフグの育成や養殖などの研究を、東京大学大学院農学部生命科学研究科とともに進めているんです。

ノーベル賞学者も認めた「ふぐ」が将来の人類を救う?

プールで泳ぐとらふぐ

── 東京大学ですか!

はい。日本でもっとも古くからふぐの研究をしているのが東京大学です。たとえばふぐは養殖をすると、互いに噛み合ってしまうのですが、それを防ぐためにふぐの歯を切る技術などを進めていたそうですね。

そうした知見を生かした共同研究の結果、私たちの予測では10万尾を生産できる想定です。安定してふぐの供給を進めることができたら、天然資源の保護にもつながりますし、安価で消費者に届けることができるため、下関の活性化にもつながります。

ちなみに、我々が想定している養殖システムが確立できれば、もし未来に食糧難に陥った際も、タンパク質に関しては養殖のふぐの生産供給だけでも問題ない状況です。

── えー! ふぐってそんなにたくさん生まれるんですか。今度こそ我々が日常的に食べられるチャンスが......!

そうですね。ふぐはかなり生存能力が高いので養殖に向いているんです。とにかく個体として強い。病気にもなりにくい。冷凍技術や輸送も発達してきたので、今はかなり安価で食べることができるんですよ。

さらに現代ではふぐのゲノム研究が進んできましたね。

研究の記録を残した望月さんのブログ
研究の記録を残した望月さんのブログ

── ゲノム研究......?

はい。人間のゲノム(DNAに含まれている遺伝情報のすべて)は約32億ほどの数があるのですが、32億のゲノムを研究するのは、スーパーコンピュータを使っても難しいわけです。しかし実は、人間とほかの生物のDNAって大差がないんです。そのため、ゲノム量が人間の約8分の1のふぐを研究して、人間にフィードバックすることで、人間の遺伝子研究が進むのではないかと考えられているんです。

実際、シドニー・ブレナーというノーベル賞を取った生物学者が、ふぐの特異性に目をつけて、1989年に「Fugu rubripes(日本のふぐ)ゲノム配列決定プロジェクト」と称し、研究を開始しています。ふぐを食べるのは極東の地域の人たちだけですが、そのほかにもイギリスやフランスなどヨーロッパの研究者がふぐの研究をしていたんです。彼らの研究は有用性が証明され、現在は東京大学が引き継いで行なっています。

── ノーベル賞学者も! ふぐにはそんなポテンシャルもあったんですね!

はい。このままふぐの基礎研究が進むことで、副産物として人類に有用な発見が生まれる可能性もあります。食糧難問題に対しても、かなり現実的なアプローチができていますし、このまま研究が進めば、将来的にふぐが人間を救う、なんて話もあるかもしれませんね。

望月俊孝(もちづき・としたか)さん

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