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サンゴが消えるとどうなる? 沖縄の村がサンゴを守るわけ

未来とサンゴプロジェクト

未来とサンゴプロジェクト

もしも、沖縄からサンゴが消えたならーー。

海の中の色とりどりのサンゴ礁。美しいサンゴが広がる海でのダイビングは沖縄旅行の定番です。

しかし、今、そんな沖縄のサンゴ礁が年々減っているという事実があります。海水温の上昇やサンゴを捕食するオニヒトデの増加などで、どんどん死滅しているというのです。

筆者は沖縄に住み始めて6年ですが、これまで「観賞するもの」として以外にサンゴを気にしたことはありませんでした。しかし、今回の取材を通し、サンゴが沖縄の地盤や地形、水源、海の生物の多様性までを支えていることを知り、起きている事の重大さに気づきました。

そんなサンゴを守り、豊かな海を残していくために、今年の7月31日から沖縄県にある恩納村(おんなそん)と、ソフトバンクやサンシャイン水族館、ウィルコム沖縄といった企業が一緒になって「未来とサンゴプロジェクト」という活動を始めました。

このプロジェクトはサンゴの苗を買うための募金を集め、サンゴの植え付けツアーを行うことで、みんなで沖縄のサンゴ礁を守っていこうという取り組みです。実は恩納村は2003年からサンゴの植え付けを始め、上記のプロジェクトが始まるずっと前からサンゴの保全を行なっている場所なんです。

沖縄にとって、サンゴとは何か?

前半では恩納村の村長である長浜善巳(ながはまよしみ)さんに、後半では恩納村観光協会会長である宮﨑るみ子(みやざきるみこ)さんに伺いました。

取材後に強く感じた「サンゴは失くしてはいけない」という強い思いを、お伝えできたらうれしいです。

サンゴは、沖縄にとってなくてはならない存在

恩納村の村長である長浜善巳(ながはまよしみ)さん

長浜善巳(ながはまよしみ)

恩納村出身。恩納村で生まれ育ち、高校卒業後は自衛隊に入隊。退役後は琉球大学に進学し、会社員として勤めた。その後恩納村議員に当選。総務財政文教委員会委員や議会広報委員会委員などを担当した。2015年、恩納村長選挙にて村長に就任。

── 恩納村はどんな村なんでしょうか?

長浜
私が生まれた頃の恩納村は、半農半漁の村でした。遊ぶところと言えば海しかなくて、父は漁師をしていたので自然と海に親しむようになりました。シュノーケリングをしながらエビやタコを取って、持って帰って夕飯に出してもらうというのがあの頃の恩納村の日常風景でした。

昔の恩納村の海は、美しいサンゴ礁が今の比ではないほどに広がっていました。これはあくまで私の感覚ですが、昔は今の10倍くらいはサンゴ礁があったんじゃないかな。
海中のサンゴ礁
長浜
そんなサンゴ礁ですが、土地開発による赤土流出や海水温の上昇などで、多くが死滅しました。沖縄の海の栄養源であるサンゴ礁がなくなると海藻が減り、それを食べる魚たちも多くが姿を消してしまったんです。
長浜さん

── 恩納村の議員になられたきっかけは、海を守りたいという気持ちだったのでしょうか?

長浜
もともとは、恩納村の発展に貢献したいという気持ちで議員になりました。そう思うようになったのは、那覇市にほど近い浦添市でサラリーマンをしていたときです。外から地元を見たときに、恩納村にある美しく豊かな自然環境がとても魅力的だと感じて。

水平線の向こうに沈んでいく美しい夕陽やカラフルなサンゴと魚たちが見られる海。都会に住むと特別なものに感じられる、そんな景色が日常の中にあるというのが何より魅力的で、自分の子どもたちもそのような場所で育ってほしい思いがありました。

恩納村は海産物の養殖などの漁業で人の生活を支えている村であり、地元の人たちの心の中には海とともに育ってきた思いがあります。私の父も恩納村で海産物の料理屋を営んでいますし、恩納村での生活は海と切り離してしまうと成り立ちません。

── 村を挙げてサンゴの保護活動に取り組んでいるのは、美しい海のため?

長浜
もちろんそうなのですが、単に海のためというわけじゃありません。議員になった頃は、若い人たちを巻き込んで観光、漁業、農業を盛り上げていきたいと考えてました。しかし恩納村の産業は、人を巻き込むだけでなく、昔からある自然を守っていかなければ衰退することに気づいたんです。

恩納村のどこからでも見えるコントラストのある青い海は、サンゴがなくなれば、鮮やかさが失われます。白化したサンゴが長い時間をかけて削れて形成される白い砂浜も、サンゴがなくなれば黒ずんでいきます。

島を覆うサンゴ礁がなくなれば海岸は徐々に波に削られて地形が変わってしまいます。透明度の高い、栄養の極めて少ない海で生き物たちに栄養を提供しているサンゴがなくなれば、魚もいなくなるんです。
長浜さん

── 人が沖縄の海に来る理由がなくなってしまいますね。

長浜
そうです。これは恩納村だけの話ではありません。そもそも沖縄という島は、サンゴ礁が隆起してできているんです。かつては海の中にあったそれらのサンゴ礁が陸に上がり、石灰岩となって降った雨を濾過して地下水源として蓄え、人々に水を提供してきました。

川の少ない沖縄で、石灰岩からの地下水は貴重な水源だったんですね。今は石灰岩が蓄えている地下水が農業用水に使われています。

── サンゴが人々の生活用水を支えていたとは知りませんでした。サンゴは海の生物に対しては、どんな風に作用しているんでしょう。

長浜
沖縄の透明度の高い海は、実は生き物にとっては栄養の少ない海なんです。その中でサンゴは、海の生き物たちに十分な栄養を提供している存在。サンゴがあるからこそ、海藻やエビ、小魚などの生き物たちが育ち、それらを食べる魚たちが育つという海の生態系が保たれているんですよ。

生物たちがサンゴという狭い世界で共生するために、多様性も生まれます。観光においても、みなさんが沖縄に足を運んで海に行かれるのは、サンゴのある美しい景色を見たいからですよね。

そんな風に、サンゴは昔から沖縄の生活と産業の基盤を作ってきた存在です。サンゴを失えば沖縄の産業は立ち行かなくなります。サンゴを守ることが、沖縄を守ることにつながると考えたんです。

サンゴの植え付けを行いながら、そこにいろんな人を巻き込んで観光も漁業も農業も盛り上げていきたい。まずは恩納村をサンゴの村として、サンゴを守るモデル都市にするつもりです。そのために「未来とサンゴプロジェクト」を始めました。
未来とサンゴプロジェクトのポスター

「未来とサンゴプロジェクト」について

サンゴの保護を通して地球環境や美しい海のある未来を守っていく。

そのために募金を呼びかけ、サンゴの苗を買い、サンゴ植え付けツアーを開催するというのが「未来とサンゴプロジェクト」の主な活動内容です。

また、この活動は、SDGsの「目標14:海の豊かさを守ろう」に対応した取り組みでもあります。恩納村はこの取り組みによって、サンゴの植え付け面積が世界最大級となり、SDGsの未来都市に選定されました。

ここからは、実際にプロジェクトを主導されている、恩納村観光協会会長・宮﨑るみ子(みやざきるみこ)さんのお話です。

恩納村観光協会会長・宮﨑るみ子(みやざきるみこ)さん

宮﨑るみ子(みやざきるみこ)

恩納村出身。海の近くで生まれ育って60年。地元の高校を卒業後東京に出て、学校や企業で7年間学ぶ。そこで挫折を経験したものの、花に救われる。フラワーハートセラピーや生け花の資格を取得し、子どもたちの花育に携わる。恩納村に戻り村で唯一の花屋を創業。サンゴの植え付けにも携わるようになり、現在は恩納村観光協会の会長を務めている。

── 観光協会では、今どんな活動をされていますか?

宮﨑
私たちは主にサンゴに基づいた商品の販売とサンゴの植え付けを行なっています。販売しているのは『やさ水』と『サンゴに優しい日焼け止め』。『やさ水』は沖縄で採水した水をサンゴの化石で濾過してpH調整を施したものです。硬水の多い沖縄の水を、口当たりまろやかな軟水に仕上げています。

『サンゴに優しい日焼け止め』は、サンゴの白化を促進する成分を含まず、従来の日焼け止めより人体にも優しい素材でできているクリームです。

これらをおんなの駅やホテルにご紹介して、委託販売のお願いをしています。その売り上げの一部などをサンゴの保全活動に回し植え付けをする、というのが観光協会としての主な活動となります。恩納村では「サンゴの村宣言」というコンセプトを掲げ、実は今回の「未来とサンゴプロジェクト」よりもずっと前からサンゴの保護に取り組んできたんです。

── サンゴの保護活動は、どのように始まったのでしょうか?

宮﨑
サンゴの養殖と植え付けを始めたのは、漁協に所属しているひとりの漁師さんでした。1998年に大規模な海水温上昇により世界中で約20%のサンゴ礁が死滅したことがありまして、恩納村のサンゴ礁も大きなダメージを受けました。それに危機感を抱かれたんでしょう。

というのも、恩納村は昔から海ぶどうやモズクの養殖が盛んで、海ぶどうで、平成23年度農林水産天皇杯の賞をいただいた実績のあるほど上質な海産物にも恵まれたところなんです。沖縄で一番サンゴの恩恵を受けていると言ってもいいでしょう。

漁師がなんとかしなければという、強い危機感をもったひとりから始まった活動が恩納村全体に広まり、養殖場が作られ、サンゴの植え付けの活動を支援していただけるまでになったのは、恩納村の海を愛する漁師のサンゴを失くしてはいけないという強い思いがあったからだと思います。
宮﨑さん

── 宮﨑さんは10年前からこの活動に取り組んでいらっしゃると伺いました。やはり恩納村の海に強い思い入れがおありなのですか?

宮﨑
私の人生には、ずっとそばに海があったんです。長浜村長もおっしゃってましたけど、小さい頃は海で遊ぶのが当たり前でした。竹とテグスで釣竿を作って釣りをしたり、ダイビングをして獲ったモズクをそうめんみたいにして食べたり。海に潜るとこの辺りにもまだ海ガメがいましたね。

辛いことがあると海を見に行って、海と空の向こうに続いてる世界に思いを馳せて、悩んでたことを忘れて元気になることを繰り返してました。そうやって海と過ごしてきたから、私にとって、海は恋人なんです(笑)
宮﨑さん

── そんな宮﨑さんにとって、サンゴを守ることとはどういうことでしょうか?

宮﨑
沖縄らしさを守ることです。

沖縄らしさって、私は人のあたたかさとかゆったりした時間、美しい海にあると思います。旅行に来られる方々もきっと、沖縄にそういうものを求めて来られているはずなんです。

観光は「ただいま」と「おかえり」の関係が大事です。来てくれた人が、そのとき良いと感じた沖縄を残しておくこと、また癒されにいきたいなと思ってもらえる地域を残しておくこと。サンゴを守ることは、そこにつながっています。

私自身、高校卒業後に東京へ出て働いたことがありまして、そのとき大きく挫けた経験をしました。嘘をついちゃダメだと思って生きてきたのに嘘をつかなきゃいけない場面があったり、陰口を言ったり言われたりという場面に遭遇したりする中で人間不信になったんですね。でもそんな自分を花が救ってくれました。

ただ、そこにあるだけの自然のものが自分を癒してくれたんです。私が見てきたサンゴのある綺麗な海も同じです。自然から得られる癒しの時間をなくしてはいけない。サンゴと、サンゴがあることによってできた沖縄らしさは失くしてはいけないと考えています。
宮﨑さん

── 「未来とサンゴプロジェクト」の活動を通して、これからどんな海、恩納村、社会を作っていきたいですか?

宮﨑
サンゴでつながる関係をもっと増やしていきたいですね。サンゴの保護活動を始めてから今まで、本当にたくさんのつながりができました。例えば今回の活動に参加してくださっているサンシャイン水族館との関係で、池袋サンシャインで沖縄恩納村フェスタを開催させていただくようになって11年が経ちました。

するといつの間にか、恩納村界隈の居酒屋でモズク天ぷらがメニューに入っていたり。恩納村ライオンズクラブも「海の森を作る」という意志のもと5年ほど植え付けをしてくださっています。

恩納村には昔から、地域の子どもたちはみんなで育てるとか、誰かが困ってたら助けるという風土が根付いています。サンゴを起点としたコミュニケーションによって、みんなでサンゴを守りながら、観光客の方々が癒される沖縄、県民が誇れる沖縄を残していきたいです。

さいごに

今回お話を伺うまで、筆者にとってサンゴは観賞するものでしかありませんでした。

沖縄に来てダイビングを始め、海中の景色にサンゴは欠かせないものだと思ってはいたのですが、まさか沖縄の人々の生活にとってもこれほどまでに欠かせない存在だったとは知らなかったんです。

これまで沖縄の象徴である美しい海を支えてきたサンゴ。

そして今、サンゴを守ろうと奮闘する人々がつながり、沖縄の文化が新しい形でまた広がっていこうとしています。

沖縄に住むひとりの県民としてサンゴのことを、大切にしていきたいと思いました。募金等の取り組みがある「未来とサンゴプロジェクト」を通じて、サンゴを大切にしたいと思ってくれる方が増えたらうれしいです。

海辺に立つ宮﨑さん

\ さっそくアクションしよう /

皆様からのご寄付は、「未来とサンゴプロジェクト」を通じてサンゴの植え付け活動を行う際のサンゴの苗代として役立たせていただきます。また、「サンゴのむらづくりに向けた行動計画」に掲載している普及啓発、人材育成、産業振興、環境保全に関わる事業にも使わせていただきます。

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