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豊かな未来のきっかけを届ける

豊かな未来のきっかけを届ける

「いつか超えてみせる。それが恩返し」よそ者をライバルに育てあげる島。

TRITON JOB

利尻島の漁師たち

ふと誰かに呼ばれたような気がして振り返ると、そこには秀峰・利尻山がありました。
高さ1,721m。
島のほぼ中央に位置する利尻山は、島のどこからでも見ることができ、異様なまでの存在感を放っています。
たとえ深い霧で姿を隠していても、そばにその気配を感じるほど。

ある人は言います。

「島にいると、どこにも逃げられない。山が見てるから」

島の風が強いのも、豊かな磯場や栄養満点の漁場があるのも、すべて山の恩恵です。
島にいて感じるのは、悠久の歴史と、自然の息遣い。
遥かなる時間を経て、この山が島を育み、今もなお人々を見守り続けています。

利尻山

利尻島へようこそ!

北海道最北端の稚内からフェリーで1時間30分。
札幌市内にある丘珠空港から飛行機で直接向かえば約1時間ほど。
北海道北部、日本海に浮かぶ利尻島は、日本百名山にも選ばれる利尻山を有する自然豊かな島。
その美しい自然を愛でるため、夏場は多くの登山客が訪れます。
島の周囲は約64km。車で1周しても1時間ほどの小さな島です。

道内の離島では唯一、2つの自治体があり(利尻町・利尻富士町)、鴛泊・鬼脇・沓形・仙法志と、4つのエリアに分かれます。人口は約5,000人。
島の基幹産業は、利尻山を中心とした観光業と、豊かな海を生かした漁業です。

利尻島そのものを知らなくても、「利尻昆布」はご存知の方もいるのではないでしょうか。「利尻昆布」は、味が濃く、澄んだ上品なダシがとれることから、昆布の最高級品と称され、関西方面の高級料亭で好んで使われています。

利尻昆布

島民自慢の昆布の生産を手がけているのは、もちろん漁師です。
昆布には、養殖物と天然物があります。等級も1等~4等まであるのだとか。
質の良い天然昆布がいちばん高値が付きますが、収穫はその年の天候に左右されやすいため、安定を求めて養殖を行う人も多いそうです。

毎年、6~7月の繁忙期になると、島のあちこちに昆布干しの風景が広がります。

昆布を干す様子

海から引き上げてきた昆布を干す「干し子」は、1世帯に最低でも10人ほどは必要。
老いも若きも、女性も子供も、出勤前のサラリーマンも。
この時ばかりはみんなで「干し子」になります。
島が最も賑やかになるのも、この時期。
昆布が道端に落ちている! なんて微笑ましい光景も、島の夏の風物詩です。

島自慢の海産物がもうひとつ。
それは、贅沢にも高級昆布を食べて育つウニです。

その濃厚な味を一度知ってしまえば、よそのウニは食べられないという、魅惑の食べ物。地元ではガンゼ(エゾバフンウニ)やノナ(キタムラサキウニ)と呼ばれ、まるで宝石のような輝きを放ちます。

殻をむき終えたウニ

「ウニを獲る日は、朝の5時に放送でお知らせがあるの。その前から知り合いの漁師さんから情報を集めて、安く買えそうな日を狙って狙って......よし、このタイミング! っていうときに、10キロとかまとめて買うのよ」

地元のお母さんが、楽しそうに話してくれました。
 

利尻島・漁師のすゝめ

ウニをはじめ、アワビや天然昆布など磯まわりのものを収穫するのが、根付(ねつけ)漁業です。
根付漁業は、0.3tほどの小さな磯舟に乗り、自分の腕一本で勝負します。
初期投資も少ないので、漁船漁業や養殖漁業に比べて、新規漁業就業者でもすぐに稼ぐことができます。

根付漁業の様子

もちろん、海の底にいるウニを獲るには、技術や経験が必要です。
海の底を見ながら自由自在に船を操るには、少なくとも1年以上を要するといわれています。それでも、頑張った分が収入になるというのが、根付漁業の魅力。

新規漁業就業者の漁業権取得に関しては、まだまだ消極的な地域が多い中、利尻島では期間付きの研修(1~3年)を経て、漁業権を譲渡する<漁師道>という制度があります。Iターンや Uターン者に対しての助成金制度もあるそうです。
実際にこの制度を利用し、移住して漁師になった若者は20名を超えます。
新規漁業就業者の多くは、根付漁業を行いつつ、ナマコの桁曳き(桁網と呼ばれる大きな網で海底をひいて獲る漁法)やホッケの刺し網、養殖昆布を手がける漁師のもとで従業員として働くなど、バランスよく稼いでいます。

島の漁業者の平均年齢はおおよそ 63 歳。
漁業を営む組合員数は511名。

島では、深刻な高齢化・後継者不足の問題に直面しています。
基幹産業である漁業の従事者がいなくなるということは、人口が減り、町としての機能を失うということになり兼ねません。
生産量が落ちれば、ブランド力も落ちてしまいます 。

移住者の受け入れにはじめは難色を示していた島の漁師たちも、島に根ざして暮らす若者の姿を見て、「一人前の漁師」として育て上げるその重要性に少しずつ理解を示しはじめています。
 

「よそ者」から島の漁師に

渡邉大樹さん

「率直に、漁師かっこいいなって」

人懐っこい笑顔で語るのは、<漁師道>1期生の渡邉大樹さん。

島に移り住んで10年。漁師になろうと思ったきっかけは、子供の頃に聞いた親戚の漁師の話が忘れられなかったからだそうです。

「漁師おもしろそうだな、いいなぁと思っても、夢物語というか......自分には縁のない話だと思ってました。家庭の事情で大学を中退して、道内のあちこちで働いて、ようやく自分の好きなことができるとなったときに、真っ先に思い浮かんだのが漁師でした。頭の片隅に、小さい頃の記憶が残ってたんですね」

利尻を選んだきっかけは、札幌で開かれた漁業就業フェアでした。

「正直、利尻ブースの人がいちばん厳しいことを言ってました。最初からそんなに稼げないとか、300万稼げたらすごいほうだとか。それでも、自分は漁業権を持って漁師をやることをいちばんに考えていたから、ここしかないと思いました。厳しい現実の話も聞けたし、あとはいいところを自分が見つければいいんだって」

雪の中、漁にでる渡邉さん

意気揚々と研修生としてやって来た渡邉さんですが、慣れない漁業の仕事、知らない土地、決して高くない給与......最初は精神的にも体力的にもきつかったと言います。

そんな彼を支え続けたのは、「絶対に漁師になる」という、強い想いでした。

島に来て1年後に、念願の漁業権を取得。
自分で沖に出て、磯まわりのものを獲って稼げるようになりました。

「まわりの漁師さんに、おめぇ獲るようになったな! って言われたときは、本当に嬉しかったですね」

島で結婚し、3人の子宝にも恵まれました。
今では島に新たにやって来る若者の良き相談相手となっています。

「移住漁師のモデルケースってよく言われるんですけど、まだモデルになりきってないんです。まだまだ挑戦したいことがたくさんあります。だから早くモデルになりきって、みんなが希望をもって漁師になれるようにしたいですね。希望、もてますよ。そのことを発信していきたいなと思っています」

かつて「よそ者」と呼ばれた若者は今、島を担うかけがえのない存在として、浜を駆け回っています。

漁業で島の未来を変える

島には、老いも若きも一目置く漁師がいます。
小坂善一さん。

養殖昆布のほか、カニやホッケの刺し網、ナマコの桁曳き、ウニやアワビ漁と、幅広く漁業を手がけています。
3年前から株式会社を立ち上げ、製品加工も手がける敏腕漁師。
親方漁師としても、過去に<漁師道>の研修生を2人受け入れ、一人前の漁師に育ててきました。

「結局のところ、『島の人を大事にしたい』ってことなんです。20年後に自分が漁師続けてても、町が機能していなければ何も楽しくない。だから人を育てたり、仕事の場を作ったりしたいと思ってるんです」

小坂善一さん

ほかの人よりも頭ひとつ、いえ、ふたつ分も高い長身の小坂さんが見る景色は、常にみんなの一歩先にあります。

島生まれの島育ち。祖父も父親も生粋の漁師。
しかしながら、3兄弟のうち誰ひとり、漁師になろうとは思わなかったそうです。
長男である小坂さんであっても、子供の頃に船に乗った記憶は数えられるほど。

「両親の大変そうな姿を見ていたし、安定した仕事に就きなさいというのが母さんの口癖でした。札幌の大学を出て、証券会社で働き始めて2年半を過ぎた頃に、交通事故で父さんと母さんが亡くなったんです。嘘だろ、って思いましたね。今でもあのときのこと思い出すと、全部夢の中の出来事みたいな感じで......。数日間いろいろ考えて、よし漁師やるぞ! って。やるからには逃げも隠れもしないって、心に決めたんです」

悲しい出来事は、ときに人を大きく変えます。

誰もが惹きつけられ、そして憧れる小坂さんの大きな背中には、両親への深い感謝と、漁師という仕事への強い想いが滲んでいるのかもしれません。

小坂さんは、父の双子の兄である伯父と共に、新たな人生を歩み始めました。とにかく、がむしゃらだったと、当時を振り返ります。

小坂善一さん

「寝る間を惜しんで、先輩漁師のとこに話を聞きにいくんですけど、夜半過ぎまでお酒付き合わせられることになったりして。船酔いなのか、酒で酔ってるのか、最初はわからなかった。それがいちばんしんどかったかもしれない。漁師って、ニュアンスや感覚でものを言うから、それをいかに自分のものにして吸収するかが大事。データを分析したり、実はすごく戦略的な仕事なんです。自分の場合、いろんな事情があって漁師になったけど、結局は自分に合ってたと思うし、まだまだ伸びしろがある仕事だと思うんです。おもしろいですよ」

そして小坂さんは、島でも指折りの漁師となりました。

1年を通してさまざまな漁業を手がけ、根付漁業でも、もちろんトップクラスです。
持って生まれたセンスだという人もいますが、小坂さんは決してあぐらをかくことはありません。

やるからにはとことんやる。中途半端は許さない。

人一倍ストイックに仕事に取り組んできた小坂さんは、島の漁師となって6年が過ぎる頃、はじめて島の外からやって来た研修生を雇いました。

「とにかく自分に厳しくしてきたから、外から来る人に対しては、なおさらです。彼らはこっちに何も地盤がない人たちのわけですから。それじゃ全然足りないよって、随分厳しく指導しました」

すかさず奥様の麻由さんが一言。

「あの頃は利尻山よりももーっと、とんがってましたね」

麻由さんは、小坂さんのもとで働く研修生たちを優しく見守り、ときには同士のように励ましあってきました。

小坂さんと奥様の麻由さん

「真っ直ぐすぎるんです。だから勘違いされることもある。損な性格ですよね」

すべては、島に根付いた一人前の漁師になってほしいという、小坂さんの大きな愛があってこそ。小坂さんは、新しく漁師になる人へ、期待を込めて話します。

「いい先輩に出会うこと。いろんな人の話を聞くこと。その上で、きちんと考えをもった漁師になってほしい」

小坂さんが誠心誠意込めて育てあげた研修生たちは、一人前の漁師としてしっかり島に根ざして働いています。

小坂さんと研修生

 

いつか超えてみせる。それが恩返し

小坂さんは今、島の魅力を発信し、この島の漁師であることの素晴らしさを多くの人々に伝えようと、「NORTH FLAGGERS」という団体の代表も務めています。

NORTH FLAGGERSのメンバー

同じく「NORTH FLAGGERS」のメンバーとして活動する移住漁師の渡邉さんにとって、小坂さんは憧れの先輩です。親方は違えど、小坂さんのもとで半年ほど漁船漁業の手伝いを行い、その気迫と技を目の当たりにしてきました。

「同じだけやっても、どんなに踏ん張ってやっても、勝てない。それが小坂さん。だからといって、負けましたじゃない。あの人と行きあえば、いつだって勝負。行きあわなくても勝負」

憧れの背中は、いつしかライバルとなりました。

「いつか絶対超える。でも、いつかじゃダメ。今だっていいんだ。そういう気持ちでいつも勝負している。超えたい、超えてみせる。それがきっと恩返しにもなる」

その言葉を聞いた小坂さん。
笑みを浮かべながら答えます。

「頼もしいよね。でも、まだまだ若い奴らには負けませんよ」

目指すは、てっぺん。
島を優しく見守る利尻山のように。
高く、高く、高め合いながら。

強い風が織りなす、美しくも力強い風景の中で、男たちは今日も競うように海に出かけていきます。

\ さっそくアクションしよう /

ひとりでも多くの人に、海のイマを知ってもらうことが、海の豊かさを守ることにつながります。

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