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豊かな未来のきっかけを届ける

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ライバルと協業したら、単価は倍に、体は楽に。海苔漁師の働き方改革

TRITON JOB

七ヶ浜の漁港

栄養豊富な海で海苔養殖

仙台市内から東に約20km、松島湾に突き出た半島のような七ヶ浜町。7つの浜が統合され、「七ヶ浜」と名付けられたのは今から約140年前のこと。日本三景「松島」の南に位置し自然環境に恵まれた七ヶ浜は、夏は海水浴客で賑わい、県内有数のサーフスポットとしても知られています。

毎月最終日曜日の「七の市」、毎月第3水曜日の「みやぎ水産の日」には、鮮度抜群の鮮魚介類を求めて多くの人が訪れ、数時間で完売するほどの人気。さらに、ここ七ヶ浜で特に力を入れている基幹産業が海苔養殖。その品質の良さは<皇室献上海苔>に選ばれたことでも有名です。

海苔を束ねる帯には生産者と等級が記載されている

震災、そして協業体制へ

東日本大震災では、七ヶ浜も養殖施設や乾燥施設すべてが壊滅的な被害を受けました。被災状況を考えると、個人で再建するのは難しいと判断。漁師が何人かでグループを作り、一緒に海苔養殖を行う協業体での施設整備を図り、難局を乗り越えることにしました。海苔養殖の手法も思考も異なる漁師が挑む、協業という新しい漁業のカタチ。その結束を強固なものにし、引っ張っているのが七ヶ浜支所運営委員長を務める海苔漁師の寺沢春彦さん(57歳)です。

海苔漁師の寺沢春彦さん

「震災前は個々で設備投資をしてたけど、震災後は被災した漁師たちが3人1組となり協業グループを立ち上げました。今はその7つの協業グループを中心に、高台で被災を免れた10戸の漁業者と合わせて、七ヶ浜支所内では17形態で海苔養殖を行なっています。今までの漁業は、各個人で秘密のやり方や長年受け継がれてきた方法がありました。しかしグループになると、おのおのが経験や知識を互いに持ち寄っているので、それが海苔の品質向上にもつながっています」

海苔を乾燥させているところ

海苔の品質は単価にも現れ、震災前の2007年(平成19年)の平均単価1枚7.35円から2018年(平成30年)の1枚13.64円まで毎年向上し、ほぼ倍加する勢いです。単価が向上したことで量を追うことも少なくなり、漁期短縮にも結びつきました。本来、海苔は4月ごろまで生産できますが、七ヶ浜では3月末で漁期を終え、来季に備えます。協業という新しい漁業のスタイルは、「働き方」も変えています。

「協業したことで分業制が可能になり、とにかく体が楽。従来のやり方だと家族総出で海苔の作業工程をひとつずつこなさないといけないけど、協業だと人手も増えるので、海苔摘み、網張り、海苔の洗浄など、各チームが分担して早くに作業を終えることができるようになりました。グループ化することで機械も一緒に使うから経費を抑えられ、利幅も良くなる。体の負担や経費面を考えると協業化はいい流れです」

岸壁に船を係留している

協業化のメリットは、情報交換による「品質の向上」、分業による「働き方改革」、そしてもうひとつ。漁業で一番の課題にも成果が現れています。それは......。

「後継者がいない人も、グループ化をすることで次の代につないでいくことができます。高齢で抜ける人がいても、新規就業者がいれば後継者として確保でき、ゆくゆくは組合員となって経営者として参加できる可能性がでてきました」。

これまで漁業経験のない人の新規参入はほとんど皆無でしたが、震災後は24歳から40歳まで年齢層も幅広い人が新規に漁業に取り組んでいます。他県から移住してきた7人に地元後継者を含めると22人が海苔養殖業に携わるようになりました。

しかし、七ヶ浜の美味しい海苔を多くの人に食べてもらうためには、新規の担い手はまだまだ不足しています。寺沢運営委員長をはじめ地域の漁師たちは、次世代を担う若者たちを積極的に受け入れ、一人前の漁師になれるよう育成に取り組んでいます。

歓迎! 漁業未経験者

七ヶ浜海苔養殖の7つあるグループのひとつ、恵比須グループを束ねる坂本寿さん(38歳)もほかの地域から漁師として移り住んだひとりです。坂本さんが親方に請われ、七ヶ浜に来たのは震災3年前のこと。カツオの一本釣りや海苔養殖の経験はありましたが、当時は周囲から「ヨソモノ」という目で見られていたと言います。しかし努力は認められ、35歳の時にグループの代表に抜擢。

坂本寿さん

「周りの人に認めてもらうために、自分が人に誇れるような海苔をどれだけできるか考え続けた。そしていずれは、親方がつくるような一流の海苔を目指す気持ちを忘れなかった。親方は有言実行する人だったし、それに応えようと思って必死だった。最初は認められなかったけど、今は認めてくれる。自分が上に立つにつれて考え方も変わってきた」

坂本さんは、「データも大事だけど、経験や知識から本当のことを知ることができる」という思いから、情報収集するために他県の海苔養殖の現場にも積極的に訪れています。海苔にかける思いは親方譲り。だからこそ、坂本さんの元には漁師を目指す他県からの新規就業者も多く、取材当日、出身地も年齢も違う4人が忙しく働いていました。運送業や派遣会社、自動車整備士など転職者もいますが、なかには、大学卒業後に一般企業に就職するように漁業の道を選んだ20代前半の若者も......。「坂本さんは厳しいけど、頼りになります。海苔養殖は覚えることも多いけど、仕事はとにかく楽しい」と口を揃えます。

仲間と出船する坂本さん

「どんな人が漁師に向くどうかは、やる気があるかないかで判断するっきゃねえ。俺のときは、組合員になるまでに10年かかったけど、寺沢運営委員長をはじめ上に立つ人たちが若い人たちにつなげていくことを考えてくれているから、受け入れ体制が整ってきた。3年頑張れば組合員になれる可能性もある。俺は七ヶ浜のパイオニア(笑)。同じ舞台で足並み揃え、続けていけばそれが糧になるはず」

ヨソモノだった坂本さんは、今ではすっかり七ヶ浜の漁師としての風格をまとい、同じヨソモノの新人漁師を一人前の漁師にするべく共に歩んでいます。

就職先は「漁師」

就職先は大手企業。都会のオフィスで働くのが一種のステイタス。
そういう職業観もあるけれど、今は選択肢も広がり一次産業に目を向ける若者も増えている。寺沢運営委員長の所属するグループの協友会で海苔養殖に携わる小池勇輝さん(25歳)は、漁業に就いて2年目。山形県から仙台の大学に進学後、1年間刺し網漁のアルバイトを経験。それがきっかけで海の仕事に興味を持ち、宮城県が主催する漁業就業フェアを通じて漁師の道に進む決心をしました。

小池勇輝さん

「自然相手で大変だけど、逆に自然相手なので人に対するような余計なストレスはありません。海苔の養殖は手間を掛けた分、芽が出て伸びていくとき、収穫したときは嬉しい。実際に漁師をやってみて楽しいし、頑張れば頑張るほど稼げる業界だと思いました」

大学卒業後の就職先が漁師。ちょっと意外な選択ですが、ご両親の反応はどうだったのでしょうか?
「親には、漁師の仕事や海苔養殖業のこと、宮城県は水産王国だということなど自分で調べて説得して、自分がやりたいことならと認めてくれました」

漁師になって2年目。早く組合員になり、夏の海苔養殖のオフシーズンには潜り漁にも取り組みたいと考えています。そしてさらに小池さんは、その先のもっと高い目標を目指しています。

「自分も親方になったら、次の世代の人を育ててみたい。そのために福利厚生など制度面もしっかり整えて、仕事に臨めるようにしてあげたいですね」

夢を語る小池さんを見つめる寺沢運営委員長の目は厳しくも温もりを感じます。寺沢さんは、これから七ヶ浜の海苔養殖に関わる次世代の人たちに思いを巡らせます。

「若い人は若い人なりに今後のやり方や考えがあると思うので、自分たちがやりやすいように意見を出して自分たちが思い描く輪を作ってほしい。そのために組織をうまく利用し、情報を吸収して早く一本立ちしてもらえれば。いろんなとこから漁師になりたいと来てほしいし、こっちも間口を広げて待ってるから」

夢を語る小池さんを見つめる寺沢さん

かつて漁師は、親から子へ代々受け継がれていました。漁業を取り巻く大きな時代のうねりの中で、協業と新規就業者の受け入れに挑む七ヶ浜の漁師たち。そこには、果敢に時代の荒波を乗り越えようとする強さが秘められていました。

\ さっそくアクションしよう /

ひとりでも多くの人に、海のイマを知ってもらうことが、海の豊かさを守ることにつながります。

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