「育ちが遅いのもウリになる」日本一海に近い町の無欲でやり手な漁師の戦略

小高い山が連なる地形の裾、穏やかな湾にピッタリ沿うように小さな民家がびっしりと軒を連ねている。ここは京都府北部の町、伊根町。京都市から北へ約100キロ、日本海に面する丹後半島の先端に位置する漁師町だ。

伊根町の特徴は、なんといってもこの「舟屋」。海沿いに建てられた民家、その1階部分の空間はポッカリと空洞になっているのが見受けられる。この空間は、船をしまうところ。家と船着場が一体化した世界的にも珍しい建築物で、町が漁業と共に成長してきたことを教えてくれる。

「伊根の舟屋」は重要伝統的建造物群保存地区に指定され、毎年多くの観光客が訪れる。しかしながら町自体には衰退の影がじわじわと迫り、伊根町の根幹を支えてきた漁師も減少の一途を辿っている。

伊根町で漁師をしている橋本弘さんは、ボートで湾内を案内しながら自身の故郷の海について、次のように話す。

「僕は伊根の海に育ててもらった。漁師町である伊根から漁師が消えてしまったらやっぱり悲しい。だからこそ、この海で漁師として儲けて、この地の漁業をつなげていきたいんです」

橋本弘(はしもと・ひろむ)

株式会社橋本水産代表取締役

橋本さんは、伊根町の漁師といえば? という問いに対して、確実にその名が上がる人物。ブリや岩牡蠣の養殖・小型定置網での漁業を生業に、父から跡を継いで早々に経営を黒字転換させたうえ、"伊根ブリ"を全国ブランドにまで育て上げた。

漁師として自社の売り上げを立てるだけではなく、伊根町の漁師初の株式会社化、新規就業者への支援、観光事業にまで幅広く取り組んでいる。

経歴を聞く限りはいわゆる"ゴリゴリのやり手"だが、話す姿はつねに淡々としていて、どこか達観したような空気をまとっているのが気になった。仕事を見学しながら、伊根町の漁師としての戦略、そして未来に向けて何を見据えているのかをうかがった。

デメリットを逆手にとった養殖法で黒字逆転

早朝5時半。養殖ブリの餌である冷凍のイワシを積み込んで海へと漕ぎ出す

── 事業のメインはブリと岩牡蠣の養殖とのことですが。

まず伊根の海の特徴からお話すると、日本海とは思えないほどに海が穏やかなんです。陸地が包み込むように湾を形成しているので、日本海でありながら南向き。さらに、湾の入り口にある無人島「青島」が湾を守ってくれているので、湾の内と外では全然環境が違います。伊根湾を出たら大荒れでも、湾内は凪いでいるということが多いんですよ。

伊根湾の出入り口に鎮座する青島

── 穏やかな海だから養殖業に向いているんですね。

穏やかという点ではいいんですが、伊根自体は養殖に向かない海なんですよ。そもそも水温が低くて魚の育ちが遅いんです。冬季水温が10℃を切る年もあるくらい。昔はブリの養殖業者も10軒以上あったんですが、いまは2軒にまで数が減っています。

── じゃあ、どうやって養殖業で売り上げを伸ばしているんでしょう。

水温が低くて魚の育ちが遅いことを逆手にとってブランディングしたんです。魚の育ちが遅いのなら、ゆっくり時間をかけて育ててやればいいんです。

この「ゆっくり育てる」ことをウリにして、伊根産であることの価値をあげています。

給餌機からイワシでつくられたモイストペレットが生簀に投げ込まれると、ブリたちがにわかに活気づいた

ブリの養殖に関してもそうです。ゆっくり育てるということは、それだけ1匹あたりの単価が高くないといけない。そのため、うちのブリの生簀(いけす)はあえて少ない数しか入れていません。他の漁師さんが育てる養殖ブリと比べて、1/3くらいの魚数ですかね。静かな湾内で、餌を取り合うことなく、しかも広々した空間でストレスなく育つので味の質がいい。

岩牡蠣は出荷までに5年ほど育てるんですが、時間がかかる分、実入りがよくて濃厚なものができる。4~5年で、大きいものだと800gほどにまで育ちます。

鈴なりに育つ大きな岩牡蠣。「これからまだ大きくなりますよ」とのこと

1年モノ、2年モノ......と生簀のブロックごとに生育年数をバラけさせて育てています。海水も澄んでいるからすぐには大きくならないんですが、そのぶん雑味がなくてマイルドな口当たりの岩牡蠣になります。環境に合わせて無理をさせず、じっくり育ててやる方が岩牡蠣にもいいんですよね。

僕は23歳の時にUターン就職する形で伊根の漁師になったんですが、正直、当時は結構な赤字で。しかし、こうやってデメリットを逆手にとった育成法に切り替えて、2年で黒字化させました。父の代から比べると生産数は少なくなっているんですが、売上は上がっていますね。

社員を守るために法人化、さらには観光事業にも

取材時(9月半ば)のもうひとつの大きな仕事が湾外の小型定置網によるアオリイカ漁

── 橋本水産は法人化もしているんですよね?

そうですね。伊根町で漁師が法人化したのははじめてです。周囲からは「どうしてわざわざ家業を会社に?」と戸惑われましたね。真新しいことをするのに慣れていないというか。

でも、ありがたいことに、京都市内や府外から「漁師になりたい」と橋本水産の求人に応募してくれる人たちがいるんです。時には家族をつれて移住してくれることもある。そうなったらやっぱり、ちゃんと株式会社化して、企業として福利厚生をきちんと整えてあげたほうがみんな安心じゃないですか。

── 漁師さんたちって家族経営が多いですが、新規就業者のことを考えて法人化したんですね。

そうですね。京都府は、新規の漁業就業者を増やすために府と漁業団体・地元自治体が協働して、人材育成のための場「海の民学舎」を開校しています。伊根町の漁師として僕もそこに関わっています。漁師をきちんと増やしていくためには漁師そのものの雇用形態も考えていく必要があるんです。

また「漁師になりたい」と僕のところに来たけれど、伊根以外の漁師さんに師事したり、伊根以外......ほかの丹後半島の海で漁を経験する方がその人には合っているなと思ったら、橋本水産以外の働き口を紹介もします。相性のいい海で働くことがいちばん定着するし仕事のモチベーションも上がります。

── 他に橋本水産として携わっていることはありますか?

観光業にも関わっています。「舟屋日和」という伊根町観光交流施設の役員をしています。「舟屋日和」はカフェや割烹、マルシェスペースなどが入る複合施設です。いままで伊根町には観光客がゆっくり休憩できる場所がなかったので。そういった場所をつくることで伊根町観光の満足度をあげたいという気持ちはありましたね。

衰退を見てきたからこそ取り組む意味がある

ブリと牡蠣の世話、アオリイカの漁を終えたあと、伊根町のホステル「guri(グリ)」で話をうかがった

── 養殖、小型定置網で着実に売り上げを伸ばし、法人化や新規就業者のサポートも。さらに観光業にも......! 伊根の海を舞台に、幅広い取り組みをされているんですね。そのバイタリティはどこからくるんでしょうか。

大前提として伊根の光景が好きだからですね。僕は漁師の家系に生まれて、海をごくごく身近にして育ってきました。海に育ててもらったと思っている。だからこそ伊根に人を、漁師を増やしたいんです。

いま伊根町の人口は2000人ほど。かつては京都を代表する漁業の街でしたが、人口減とともに漁師のなり手も減っています。若者はみんな街に出ていってしまう。

伊根の舟屋はいま、国内外からも観光客が訪れる場所になっています。しかし、観光地としての伊根が成り立っているのは漁業が生きていてこそです。

── 漁業が生きていてこその舟屋......。

舟屋は船を建物の1階に収納できて、すぐに船を海に出すことができるという特徴があります。さらに伊根湾はコンパクトなので、どこからでも海の様子を確認できるし、いま誰の船が湾に出ているのかライバルの動向もチェックしやすい。ある意味、漁師ための建築物です。

極端な言い方をすると、漁業の廃れてしまった舟屋に意味はないと思っていて。

── なるほど。私(筆者)は京都市在住なんですが、京町家にもすごく同じことが言えるなと思います。町に住む人のための建物なのに、その町家がいま観光地化していく現状があって、なんだか「つくりものの京都」感があるなと。

そうですね。舟屋を活かした宿泊施設などができることはもちろんいい面もたくさんあります。しかし、町に腰を据える人々のために、本来の活用のされ方も守ってもいく必要がある。

仕事で売り上げをあげることも、会社のシステムを変えることも、観光業に携わることも伊根の地域、ひいては伊根の海に入り込む人を増やしたいから。結局、元気のない街に人はやってこないと考えています。

僕の同級生の多くも、伊根の町を離れていってしまいました。町の衰退を自分が歳を重ねるごとに実感するのはやっぱり辛いんです。

「田舎者の妬み」利他的な精神の根底にあるもの

── お話を聞いていて感じたんですが、取り組まれていることはすごく熱量があるのに、根本がすごく利他的で、橋本さん自体が不思議なくらい飄々とされていますね。

そうですか?(笑)。

── ローカルで奮闘する方々って、「怒り」や「不満」をガソリンにして新しいことにチャレンジしている方が結構多い印象なんですけど。橋本さんにはそれが感じられないなあと。

基本的に常に執着しないようにしているからかもしれませんね。常に忘れるようには心がけています。何かに執着すると新しいことを始めるときに邪魔になる気がしていて。

うーん......あとはもしかしたら、田舎者であることの妬みが根底にあるのかもしれないですね。

── 妬みですか。

まあ田舎ですからね、伊根は。駅もない町ですから。人口の減少、なり手不足。経営自体は順調ですが、湾全体では漁獲高も低下しています。どんどん若者が街の外に出て行ってしまうから、町のことを考える仲間も多くない。もっと都会だったらこんな思いをしなくても済んだのかな......とも思うんですが、でもここが僕の故郷ですし。

── 自分自身の故郷で「ないもの」をたくさん目の当たりにされてきたからこその目線なんでしょうか? 伊根の漁師として悲しさに直面することもあると思うのですが、逆に、伊根の漁師としてすごく嬉しかったことってなんでしょう。

もちろん質のいい魚を育てられたときもありますが、周囲の成長を見ることができるのが嬉しいですね。地方から新規就労で漁師として移住してきた男の子がいるんですが、漁をはじめて、いちばん最初に釣った魚を持って来てくれたんです。あれは嬉しかったですね。

今後の目標は「僕を分散させてくれたらいい」

── 橋本さんの今後の目標を教えてくれますか。

伊根ブリや岩牡蠣などはありがたいことに知名度も人気も高まっていますが、他にも産地がある海産物なので、将来的には、伊根の特産になるようなものをつくりたいと思っています。だからいろいろといまは試している最中ですね。サーモンの養殖にも挑戦してみたり。

あとは、現状の伊根にはない漁法も積極的に取り入れていきたいですね。全国を回ってまだ知らない漁法を勉強したいな、とは思っています。

── いろいろやっていてお忙しいのに、全国行脚の夢まで! 橋本水産としてフロントマンに立ち続けなきゃ......というのはないんですか。

僕はあんまり技術を囲い込んでの看板維持に興味がなくて。橋本水産の将来に血の繋がりみたいなものは関係ないですし、漁業をやりたいっていう人がいれば、僕が持っているノウハウならいくらでも教えます。みんながそれぞれスキルを磨いて、伊根の漁師として儲けられるのが理想。将来的には僕を「分散」させてくれてもいいなと思うくらいですね。

終わりに

お話を聞く中で「魚価が上がった」「売上がどう増えたか」など、橋本さんご自身の話で熱くなることはほとんどなかった。

「漁師になった若者がこんな成長を見せた」
「家族で移住してくれたから子供たちの笑い声が増えた」
「地域の人が住民が増えて喜んでくれた」

橋本さんが目を細める瞬間はあくまで、町に、そして伊根の海に、いい結果があったことばかり。

「ここが自分の生きる場所だから、やることをやるだけ」

自分の生まれ育った土地から人が減り、産業が衰退していく......地元民としてごく間近に体感し続け、寂しさや悲しさを抱えているからこそ、自分のできる漁師としての活動で利他的に振り切って、伊根町を明るくしたいと橋本さんは考える。

清々しいほどの無欲さの奥底には、誰よりも町のこと・海のことを想う熱い心が息づいている。一見すると静かで凪いだ海に見えるが、たくさんの生き物が豊かに暮らす伊根湾の海そのものを体現するような人物だった。

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